Question

For these past several days, I am easy to move a body. I am very fortunate. Because I wanted to enjoy Ome if my body moved even if there was little me, I walked a mountain again. In here these days, I consider that I become a topic on Internet to need Lesser Whitethroat of Sibley department in Tokyo inner city. But I am not interested. However, I was troubled about a bird of Sibley department today in a totally irrelevant place. I cannot distinguish. It is not the bird which is rarer than Lesser Whitethroat even if my identification is proper. In the end of January of Ome-shi, Tokyo, will Asian Stubtail inhabit? I thought that it seemed to be Asian Stubtail. However, this may be Bush Warbler which a tail feather came out of. Because it may be recorded wintering if this is Asian Stubtail, it may be valuable.

アトリ
Brambling

引越しが近くて緊張が高まっているからなのか、薬が体に合って結果がいいのかわからないけど、ここ数日、身体が動かしやすい。ありがたいです。

体が動くなら少しでも青梅を楽しんでおきたいので、引越し作業の合間にまた、山を歩いてきた。今日も大家さんのお世話になってしまいました。(^^;

このところ、某都心部で「○○ムシクイ」騒動で動きがあるのがネットでもぽちぽち目に付くけど、正直、「○○ムシクイ」…。興味薄い…。

なんちゃらムシクイはけっこう検索すると「祭り」が見れる。でもその祭りも終わったのかも。。。まあ、珍鳥で、日本には滅多に来なくて、行けば多分見れたんだろうけど。。。

ライフリストをばりばり増やし、写真を撮りに行きたかったあの頃と違って、今は、、
同じ場所で、大砲並べて撮っても面白くないしな~
人の群れに突っ込んで行くのも苦手だしな~
憧れの生き物でもないしな~
嫌な感じの人も絶対いるだろうしな~
お金かけるならヘビにか、カメラが良いしな…

思いっきりスルーしていた自分に本日、ちょっとびっくり「●●ムシクイ」現る。(※ムシクイじゃないけど。。。でもウグイス科だけど。。。)

いや…識別できないんだけどね…。うん。。。まあ、これが自分の超低レベル識別能力がばっちり当てはまって、識別できていたとしてもね。。。

日本には「夏には」普通にいる鳥なんだけどね。下に貼ってる鳥だけど、東京都青梅市の1月末に、ヤブサメっているのかね?ウグイスの尾羽抜けじゃないのかね?
うーん、でも顔の雰囲気がヤブサメ…のような、気がするってレベルなんですけど。(^^;

コノドジロムシクイ(あ、書いちった)ほど激レアじゃないのかもしれないけども、ヤブサメだったら、越冬記録かもってことで、これはこれで貴重かな、と。
もし、これがウグイスだったとしても、勉強になりますわ…。

ウグイス科の1種(ヤブサメと同定されました)
A kind of wabler(Asian Stubtail)

※2008.2.9追記:ヤブサメである事が各方面からの意見で記録されました。

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Walk

It became a little more that I was in Ome. Because my physical condition is not stable, the work is not possible by a day, but tries to perform it to bathe in the sun on the day when I can move a body. In the area Western than Ome Station, nature is splendid. I did not go very much, but there was the alpine bird there, and the eagle flew, too. I am regrettable that I was not able to encounter an antelope in Ome.

カヤクグリ
Japanese accentor

青梅にいるのもあとわずかになってしまった。日によって体調が乱高下するので、仕事は承れないが、動ける日は太陽に当たりに行ってみる。

青梅駅より、西側の地域はさすがの自然だ。あまり足を伸ばしてこなかったが、高山性の鳥もいるし、ごっつカッコいいタカも飛んでいた。

青梅でカモシカに会えていないのが残念かなあ。それにしても、ホオジロ系が鳴いてるところから出てきた地味な鳥をクロジだと思って撮っておいたら、今日写真を確認したらカヤクグリだった…。
クチバシその他、ちゃんと見ないとね。(^^;思い込み禁物~!

ジョウビタキ
Daurian Redstart

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Defocus

I cannot move. My body is tight. However, I want to see the animal. It took it so that the landlord to whom I had been always indebted might go to see Short-eared Owl. It is welcome. As for me, only the dead body watched Short-eared Owl five times, but became the encounter after a long absence (the second times of eight years). Unfortunately I was not able to take the photograph neatly because it was the day when the focus of my eyes did not match. But I was happy.

コミミズク
Short-eared Owl

動けない。身体がきつい。でも、動物を見たい気持ちはある。

いつもお世話になっている大家さんが、コミミズクを見に行くのに連れて行ってくれました。ありがたいです。不思議とコミミズクとは縁がなく、死体だけは5回くらい見ているのですが、久々の(8年ぶり2回目)出会いとなりました。

残念ながら、目の焦点が合わない日だったので、綺麗には撮れませんでした。でも楽しかった。

コミミズク&ハシブトガラス
Short-eared Owl & Jungle Crow

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Thank you

Elaphe climacophora
Japanese Rat Snake
青大将(アオダイショウ)

Photograph by Baikada (ばいかだ)
*CANON EOS 5*

In my 32 years, I thank the people who helped it in various ways.And it is my favorite photograph of the time when it was the most happy to give all of you. To Japanese ratsnake which undertook a subject reluctantly. To all of you making the pleasant life.

Thank you.

時々書いているが、私は鬱病をベースとする精神を持っている。
気が滅入って、自分を責めて、眠れなくなるうえに、性格的な問題もあって怒りが爆発すると、自分を抑えきれなくなったり、何もかも投げ出したくなったり、生きているのが嫌になって、たくさん薬を飲んで救急車で運ばれたのも、そう古い話ではない。入院したり、薬飲んだり、副作用で苦しんだりしながら、「生きてても、死んでも迷惑のかかる存在」としてだけど、以前よりは「害の少なくなった存在」として生きている。親にも、友達にも、親族にもいっぱい迷惑を掛けた。いまさら、償うとか、そういうことも出来ないことはわかっているし、これからどう生きていくかがこれからだと思っている。鬱病の発端になった職場でのトラブルを恨んでも、こうなった自分の不甲斐なさを悔やんでももう仕方のないことだ。トラブル主のヤクザを豚箱に入れたって治るもんじゃないし、取り戻せるものも何にもない。

私が今、一番辛いのが、「不定愁訴」と呼ばれる症候群だ。鬱病が、今は脳メカニズムの中で分泌物質が安定しない状態とわかってきているので、「脳の異常」として、何が起ころうがあまり自分でも驚かない。でも、急に吐いたり、関節をはじめとして筋肉などが激痛を呼ぶ日もあれば、熱が下がらずボーっとしているのに、手足の先は氷のように冷たかったり。またある日には目の焦点が全く合わない日もある。

こいつのせいで、去年1年間、仕事をしてこれた生物調査の仕事も、ままならなくなってしまった。いつどのように「不定愁訴」が発現するかわからないので、予定が入れられないのです。

確かに自分はいろんな症状で苦しいのだが、他の人に理解してもらえるのは非常に難しいのはわかっているし、同じ鬱病持ちの人でさえ、症状は千差万別なので、患者同士で慰めあうのも好きではない。
もしかしたら、自分が苦しいと思っているだけで、他の人だったら普通に耐えられるものなのかもしれない。
だから他の人に理解を期待するより、自分がいかにこの病気(障害)と向き合うかが大切なのだと思う。
皆に当てはまることではないけど、少なくとも甘ったれの自分には重要だ。

更に困ったことに、カメラのほうも苦労するようになってしまった。身体が痛む日は外に出れず、指が動かないので歯でシャッターを切る日もある。目の焦点が合わないので、とにかく条件を変えまくって撮る日もある。折角遠出したのに、動くことさえ出来ないこともある。

機材がよければ、苦労も少ないだろうかと考える日もあり、収入もろくに無いくせに高望みばかりするくらいなら写真など諦めてしまえと思う日もあり。

だけど、私はやっぱり生き物が好きだ。そしてそれらと向き合っているのが好きだ。この世界から一時遠のくことはあっても、足を洗うことはないと思う。

昔は、生き物との遭遇時の興奮にかまけて、勢いがありつつも支離滅裂な文章を書くのが好きだった。
今はもう、そういう文章は書けなくなってしまったし、その文章を自分で見ると恥ずかしかったり、書けた頃の自分に嫉妬するので、文章は全て引っ込めてしまった。でも今は、昔は恥ずかしいと思って出せなかった短文を、絵葉書に入れたりして(実は今でも恥ずかしいですが)、表現するようになったし、文章も真面目に書けば、結構しっかりした随筆的なものも書けるようになった。

写真も、障害を持つようになって、見方や撮り方がかなり変わった。それが良い方法なのか、そうでないのかはわからないけど、それはそれで、今の自分の精一杯の表現だ。

人並み以上の失敗写真を量産してるし、万人受けしないのは良くわかってるけど、苦しいながらに楽しいと思えることは大切にした方がいいと思っている。

病気になって良かった…などとは微塵も思っていない。失ったものはとても大きかった。でも、今は以前見えていなかったものも少し見えたりする。囲まれている自分の殻をつつきながら、外を見たり腕を伸ばそうとしている。

私は人間じゃなくていい。人間失格でいい。いや、動物としても失格でいい。人間を語る人はたくさんいる。動物を語る人もたくさんいる。ただ、私は、私以外の人間に「身近に小さな、あるいは大きな生命」が住んでいることを記憶に残せればそれでいい。そのために時々、写真を見てもらえればそれでいい。
動物の決まりきったイメージから少しずれた、へぇ、と思えるような写真を遺しておきたい。

去年から今年、私は東京の青梅市を拠点にして、独りでいろいろやってみた。気楽だけど、本当はとても苦しかった。

今、自分は床から出るのも厳しい状態になっています。ここでまだ我を張ることで、根性を養うこともできるだろうが、心配や迷惑をかける人もあると思うし、床の中でゆっくり考えた。いろいろ手続きが済んだら、実家に帰省します。もう一度、「自分」が生まれた札幌から出直してみます。

私の32年間の中で、いろいろ助けてくれた人々に感謝します。

そして皆さんに贈る、私の一番楽しかった頃のお気に入りの写真です。

イヤイヤながらも被写体を引き受けてくれたアオダイショウに。

楽しい人生を作ってくれているみなさんに。

ありがとう。

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Facing

Heteropoda venatoria
Brown Huntsman Spider
脚高蜘蛛(アシダカグモ)

Photograph by Baikada (ばいかだ)
*CANON EOS KISS DX*

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苦手克服シリーズのひとつです。以前紹介したトビズムカデ以来ですね。
It is one of the weak point conquest series. Since “Like Black_Kite’s head centipede” which I introduced before.

私は基本的に脚が6本以上ある生き物は得手ではありません。クモもまた然り。しかし、最近ハエトリグモを身近で観察するようになって、「クモ全般が苦手なんだ」という認識が間違っていることに気がついた。しかし、アシダカグモはとても大きい。手のひらくらいの大きさがある。そしてものすごく素早い。一時、弱毒を持つという話を聞いていたが改めてインターネットで調べると、人間に対する毒性については否定されつつある流れのようだ。
I am weak in the creature having a leg more than six of them basically. I am weak in the spider, too. However, I came to observe “Jumping spider” recently and noticed that recognition that “I was weak in the spider whole” was wrong. However, Brown Huntsman Spider is very big. There is size of a palm. And he is very quick. I heard “He has weakened poison”, but it seems to be denied about the toxicity for the human being when I examine it on the Internet some other time.

脚が多くて、素早いものは苦手です。しかし、それでは被写体としての意外な魅力に気がつかないで終わってしまう。
I am weak with many legs and the quick creature. However, then I never notice unexpected charm as the subject.

ある夜、路地裏でアシダカグモと出会った。活動的ではなかった様子なので、思い切って、腰をすえて、マクロで勝負した。正面からフラッシュを焚くと、アシダカグモが驚いて狂奔するかもしれない…。と思ったのもあるけど、アシダカグモの脚の長さがわかるような写真を撮ってみたいと思っていたので、三脚にカメラを据え、LED懐中電灯で斜め後ろからライティングしてみた。
そこそこ、面白い写真となった。克服は出来ていないけれど、私がアシダカグモと闘った記録は残す事ができた。
I met Brown Huntsman Spider in the alley on a certain night. Because he was not active, I challenged taking a picture by the macro boldly sitting down. I set up the camera in tripod, and after the diagonal, did lighting from the furnace with the LED flashlight because I wanted to take the photograph where the length of his leg was understood though was the desire, “It was likely to make desperate efforts his being surprised when the flash was burnt from the front”. This became a little interesting photograph. As for me, overcoming cannot have done him. However, I was able to leave the record fought against him.

残す苦手は、 ゴキブリとフナムシです。今年は勝負できるでしょうか…。
My weak point to leave is a cockroach and a sea louse. Can I fight this year…?

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Funeral

Oncorhynchus keta
Chum salmon
鮭(サケ)

Photograph by Baikada (ばいかだ)
*CANON EOS KISS DX*

生きていれば必ず訪れる死。野生動物は、自活出来なくなったとき、遅かれ早かれ死ぬ。
A creature has “death” by all means. When I was not able to support myself, sooner or later the wild animal dies.

このサケのように骸を晒すものもあれば、エゾシカのように死期を悟ると姿を消し、目立たずに死んでいくものもいる。カラスにつつかれ、カモメにつつかれ、ウジに内蔵を食い尽くされ、微生物に分解され、最後に残った骨は風化し、増水した川に流される。「自然葬」とでも言うべきか。
Here and there, there is a corpse like this chum salmon. There is the one to die without disappearing like Ezo shika deer, and standing out, too. The corpse is picked at by a crow, and I am nudged by a gull, and it is eaten up having it built-in by a maggot, and it is dismantled to a microbe, and the bone which stayed last weathers, and it is drained into the river which rose. Should I say, “Natural funeral”?

人間は火葬や土葬など、骸を処理することを覚えた。しかしそれは、「蘇るかもしれない」という人間の恐怖心から、疫病の蔓延の防止のためから、行うようになった。精神論を持った人間は、「魂を送る」葬儀を神格化してきた。一方で、火葬時に副葬品を燃やすと、ダイオキシンが発生した。お墓を作るために森を切り開いた。
The human learned that cremation or the burial treated a corpse. However, it came to be performed for a human sense of fear to have possibilities to “revive” and the prevention of the epidemic. The human with the mind theory divinized a funeral service to “send a soul”. On the other hand, dioxin occurred when the human burnt grave goods at the time of cremation. The human opened up a forest to make a grave.

話は変わるがエゾシカが増えすぎて農業や山林の被害をもたらすので、駆除されることになっている。駆除されたエゾシカは、なんとか資源として利用しようと食肉に使ったりするが、まだ全てが利用できているわけではないようだ。

鹿肉を高級食材として扱っている場合ではない。もっとリーズナブルにして、骸も資源としてリサイクルを進めなくてはならないのだろうと思う。しかし、エゾシカが増えすぎたのは、エゾオオカミを絶滅させてしまった人間にも大きな責任がある。人間の勝手で動物の数を調整するのは仕方の無いことなのかもしれないが、上からの視点に見えてならない。

人間も増えすぎた。その増えた人間の一人一人が、いろいろなエネルギーを消費して生きている。少しでも、自覚しなければならないことだと思う。ガソリンが高くなって、走る車が減ったことでも、ある意味良しとしなければならない。
There were too many human beings. The human each one who increased uses various energy and lives. I think that I must be aware of even a little. Gasoline rises and must do even that running cars decreased when the meaning that there is good.

私は何にも野生に貢献していない。私が生きていても、死んでも、環境に負担をかけていく。人間に対しても、「生きていたい」と願う人へ血液や臓器を与えるくらいしか出来ないが、私のは完全品とはいえない。増えすぎた人間に援助を行うことにも疑問も感じ、混乱してきている。援助を行う金銭的な余裕も全くないのだが…。人間の世界にも馴染めず、野生動物にもなれず。私は、何故生きているのだろう。 このサケのように、何故死ねないのだろう。もっと、生きるべきものはたくさんいるだろうに。
As for me, it doesn’t contribute to the wild of what either. It puts a strain in the environment even if I am alive or it dies. Mine can say complete goods though it is possible to do only by giving blood and internal organs to the person who wishes, “It is alive” for man. Why am I alive?It is likely not to be able to die like this chum salmon why. There would be a lot of things to have to live more. I think that there will be a lot of things which should live.

私には「命」は贅沢すぎると思いながら、生きていかなければならない。
I must live while thinking that “the life” is too luxurious for me.

死んでも、何かの命に利用される骸でありたい。それで私の遺志は果たされる。
Even if I die, I want to be Corpse used for some kind of life. Thus my will of the deceased is achieved.

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