Thank you

Elaphe climacophora
Japanese Rat Snake
青大将(アオダイショウ)

Photograph by Baikada (ばいかだ)
*CANON EOS 5*

In my 32 years, I thank the people who helped it in various ways.And it is my favorite photograph of the time when it was the most happy to give all of you. To Japanese ratsnake which undertook a subject reluctantly. To all of you making the pleasant life.

Thank you.

時々書いているが、私は鬱病をベースとする精神を持っている。
気が滅入って、自分を責めて、眠れなくなるうえに、性格的な問題もあって怒りが爆発すると、自分を抑えきれなくなったり、何もかも投げ出したくなったり、生きているのが嫌になって、たくさん薬を飲んで救急車で運ばれたのも、そう古い話ではない。入院したり、薬飲んだり、副作用で苦しんだりしながら、「生きてても、死んでも迷惑のかかる存在」としてだけど、以前よりは「害の少なくなった存在」として生きている。親にも、友達にも、親族にもいっぱい迷惑を掛けた。いまさら、償うとか、そういうことも出来ないことはわかっているし、これからどう生きていくかがこれからだと思っている。鬱病の発端になった職場でのトラブルを恨んでも、こうなった自分の不甲斐なさを悔やんでももう仕方のないことだ。トラブル主のヤクザを豚箱に入れたって治るもんじゃないし、取り戻せるものも何にもない。

私が今、一番辛いのが、「不定愁訴」と呼ばれる症候群だ。鬱病が、今は脳メカニズムの中で分泌物質が安定しない状態とわかってきているので、「脳の異常」として、何が起ころうがあまり自分でも驚かない。でも、急に吐いたり、関節をはじめとして筋肉などが激痛を呼ぶ日もあれば、熱が下がらずボーっとしているのに、手足の先は氷のように冷たかったり。またある日には目の焦点が全く合わない日もある。

こいつのせいで、去年1年間、仕事をしてこれた生物調査の仕事も、ままならなくなってしまった。いつどのように「不定愁訴」が発現するかわからないので、予定が入れられないのです。

確かに自分はいろんな症状で苦しいのだが、他の人に理解してもらえるのは非常に難しいのはわかっているし、同じ鬱病持ちの人でさえ、症状は千差万別なので、患者同士で慰めあうのも好きではない。
もしかしたら、自分が苦しいと思っているだけで、他の人だったら普通に耐えられるものなのかもしれない。
だから他の人に理解を期待するより、自分がいかにこの病気(障害)と向き合うかが大切なのだと思う。
皆に当てはまることではないけど、少なくとも甘ったれの自分には重要だ。

更に困ったことに、カメラのほうも苦労するようになってしまった。身体が痛む日は外に出れず、指が動かないので歯でシャッターを切る日もある。目の焦点が合わないので、とにかく条件を変えまくって撮る日もある。折角遠出したのに、動くことさえ出来ないこともある。

機材がよければ、苦労も少ないだろうかと考える日もあり、収入もろくに無いくせに高望みばかりするくらいなら写真など諦めてしまえと思う日もあり。

だけど、私はやっぱり生き物が好きだ。そしてそれらと向き合っているのが好きだ。この世界から一時遠のくことはあっても、足を洗うことはないと思う。

昔は、生き物との遭遇時の興奮にかまけて、勢いがありつつも支離滅裂な文章を書くのが好きだった。
今はもう、そういう文章は書けなくなってしまったし、その文章を自分で見ると恥ずかしかったり、書けた頃の自分に嫉妬するので、文章は全て引っ込めてしまった。でも今は、昔は恥ずかしいと思って出せなかった短文を、絵葉書に入れたりして(実は今でも恥ずかしいですが)、表現するようになったし、文章も真面目に書けば、結構しっかりした随筆的なものも書けるようになった。

写真も、障害を持つようになって、見方や撮り方がかなり変わった。それが良い方法なのか、そうでないのかはわからないけど、それはそれで、今の自分の精一杯の表現だ。

人並み以上の失敗写真を量産してるし、万人受けしないのは良くわかってるけど、苦しいながらに楽しいと思えることは大切にした方がいいと思っている。

病気になって良かった…などとは微塵も思っていない。失ったものはとても大きかった。でも、今は以前見えていなかったものも少し見えたりする。囲まれている自分の殻をつつきながら、外を見たり腕を伸ばそうとしている。

私は人間じゃなくていい。人間失格でいい。いや、動物としても失格でいい。人間を語る人はたくさんいる。動物を語る人もたくさんいる。ただ、私は、私以外の人間に「身近に小さな、あるいは大きな生命」が住んでいることを記憶に残せればそれでいい。そのために時々、写真を見てもらえればそれでいい。
動物の決まりきったイメージから少しずれた、へぇ、と思えるような写真を遺しておきたい。

去年から今年、私は東京の青梅市を拠点にして、独りでいろいろやってみた。気楽だけど、本当はとても苦しかった。

今、自分は床から出るのも厳しい状態になっています。ここでまだ我を張ることで、根性を養うこともできるだろうが、心配や迷惑をかける人もあると思うし、床の中でゆっくり考えた。いろいろ手続きが済んだら、実家に帰省します。もう一度、「自分」が生まれた札幌から出直してみます。

私の32年間の中で、いろいろ助けてくれた人々に感謝します。

そして皆さんに贈る、私の一番楽しかった頃のお気に入りの写真です。

イヤイヤながらも被写体を引き受けてくれたアオダイショウに。

楽しい人生を作ってくれているみなさんに。

ありがとう。

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