Funeral

picture

Oncorhynchus keta
Chum salmon
鮭(サケ)

Photograph by Baikada (ばいかだ)
*CANON EOS KISS DX*

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生きていれば必ず訪れる死。野生動物は、
自活出来なくなったとき、遅かれ早かれ死ぬ。
A creature has “death” by all means. When I was not able to support myself, sooner or later the wild animal dies.

このサケのように骸を晒すものもあれば、
エゾシカのように死期を悟ると姿を消し、目立たずに死んでいくものもいる。
カラスにつつかれ、カモメにつつかれ、
ウジに内蔵を食い尽くされ、微生物に分解され、最後に残った骨は風化し、
増水した川に流される。
「自然葬」とでも言うべきか。
Here and there, there is a corpse like this chum salmon. There is the one to die without disappearing like Ezo shika deer, and standing out, too.
The corpse is picked at by a crow, and I am nudged by a gull, and it is eaten up having it built-in by a maggot, and it is dismantled to a microbe, and the bone which stayed last weathers, and it is drained into the river which rose. Should I say, “Natural funeral”?

人間は火葬や土葬など、骸を処理することを覚えた。
しかしそれは、「蘇るかもしれない」という人間の恐怖心から、
疫病の蔓延の防止のためから、行うようになった。
精神論を持った人間は、「魂を送る」葬儀を神格化してきた。
一方で、火葬時に副葬品を燃やすと、ダイオキシンが発生した。
お墓を作るために森を切り開いた。
The human learned that cremation or the burial treated a corpse. However, it came to be performed for a human sense of fear to have possibilities to “revive” and the prevention of the epidemic. The human with the mind theory divinized a funeral service to “send a soul”. On the other hand, dioxin occurred when the human burnt grave goods at the time of cremation. The human opened up a forest to make a grave.

話は変わるがエゾシカが増えすぎて農業や山林の被害をもたらすので、
駆除されることになっている。
駆除されたエゾシカは、なんとか資源として利用しようと食肉に使ったりするが、
まだ全てが利用できているわけではないようだ。

鹿肉を高級食材として扱っている場合ではない。
もっとリーズナブルにして、骸も資源としてリサイクルを
進めなくてはならないのだろうと思う。
しかし、エゾシカが増えすぎたのは、エゾオオカミを絶滅させてしまった人間にも
大きな責任がある。
人間の勝手で動物の数を調整するのは仕方の無いことなのかもしれないが、
上からの視点に見えてならない。

人間も増えすぎた。その増えた人間の一人一人が、
いろいろなエネルギーを消費して生きている。
少しでも、自覚しなければならないことだと思う。
ガソリンが高くなって、走る車が減ったことでも、
ある意味良しとしなければならない。
There were too many human beings. The human each one who increased uses various energy and lives. I think that I must be aware of even a little.
Gasoline rises and must do even that running cars decreased when the meaning that there is good.

私は何にも野生に貢献していない。
私が生きていても、死んでも、環境に負担をかけていく。
人間に対しても、「生きていたい」と願う人へ血液や臓器を
与えるくらいしか出来ないが、私のは完全品とはいえない。
増えすぎた人間に援助を行うことにも疑問も感じ、混乱してきている。
援助を行う金銭的な余裕も全くないのだが…。
人間の世界にも馴染めず、野生動物にもなれず。
私は、何故生きているのだろう。 このサケのように、何故死ねないのだろう。
もっと、生きるべきものはたくさんいるだろうに。
As for me, it doesn’t contribute to the wild of what either. It puts a strain in the environment even if I am alive or it dies. Mine can say complete goods though it is possible to do only by giving blood and internal organs to the person who wishes, “It is alive” for man. Why am I alive?It is likely not to be able to die like this chum salmon why. There would be a lot of things to have to live more. I think that there will be a lot of things which should live.

私には「命」は贅沢すぎると思いながら、生きていかなければならない。
I must live while thinking that “the life” is too luxurious for me.

死んでも、何かの命に利用される骸でありたい。それで私の遺志は果たされる。
Even if I die, I want to be Corpse used for some kind of life. Thus my will of the deceased is achieved.

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Baikada’s main website
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7 Responses to “Funeral”

  1. OIKAWA より:

    何となくポールサイモンのアメリカン チューンを思い出しました。

  2. PEACE より:

    とても悲しい話ですね。
    僕も複雑な思いに駆られました。

    英語の詩をそのまま転用するのも、まずいかもしれないので、
    僕のつたない英語の訳ですが、
    OIKAWAさんの言う、American tuneの日本語訳載せてみます。
    こちらも、アメリカ黄金期の歌とは思えないような詩です。
    Baikadaさんの趣旨にそぐわなかったら、ごめんなさい。
    時々、覗かせていただいています。

    僕も、ある病気でずっと病院に通っています。
    時々、American tuneのような気持ちになります。
    Baikadaさんの体調が良い方に向かうことを祈っています。
    また、更新を楽しみにしています。

    「American tune」

    数え切れないほどの誤解を繰り返し
    どうしていいか分からなくなって
    その度、一人になって苦しんだ
    でも大丈夫 まあいいんだよ
    僕は骨の髄まで疲れ果ててしまった
    もういつまでも明るく夢を持ち続けることなんてできはしない
    僕たちの故郷からこんなに遠く離れてしまってはね

    打ちのめされたことのない魂なんてあるわけではない
    僕には打ち解けられる友達もいない
    夢は必ず打ち砕かれ 人は夢を前に挫折する
    それでもいいのさ そういうものだよ
    そんな風に 僕らはこれまでやってきた
    行く道に迷っても どちらが正しい道かなんて分からない
    分からないのに考え続けている

    死んでいく夢を見た
    僕の魂が身体を離れ 僕を見降ろしたんだ
    僕を優しく微笑んで見ていた
    空を飛ぶ夢も見た
    目の前には自由の女神が鮮やかに輝き
    僕は彼女を超えて海のかなたに向かう夢を

    僕たちはメイ・フラワーと呼ばれる船でこの国にやってきて
    今では月にだって行けるようになったのに
    僕たちの暮らしは不安と絶望でいっぱいで
    それでも僕はこの国の歌を歌い続けている
    でも それでもいい 生きていくしかないんだよ
    いつまでも祝福される時代は終わったんだ
    それでも、明日は相変わらずやって来るから
    立ち止まって眠りたいのさ
    そう、僕は立ち止まってみたいだけなんだ

  3. baikada より:

    OIKAWAさん
    PEACEさん
    このポストを書いたときは沈んだ状態で書いていたので、ものすごく後ろを向いたものになってしまいましたね。今読むと、むずがゆいです。
    American tune、ありがとうございます。
    確かにこのポストと、ダブりますね。(^^;
    でも、American tuneはまだ、聞いた事がありません。機会があれば聴いてみたいと思います。

  4. OIKAWA より:

    アメリカン チューンは、ポールサイモンのThere Gose Rhymin`Simonというアルバムに入っています。その中にコダクロームという曲がありますが、その曲は、僕らに合うのではないかと思います。

    PEACEさん
    アメリカンチューンの訳詩ありがとうございます。何となく理解してましたが、よく意味がわかりました。ポールサイモンの歌詞は、難解なものが多く困ります。僕の英語力では、あまり理解できません。

  5. Godspeed より:

    私には沈んだような気持ちも歌の詩もそこから感じず、前世紀的な失望感の時代の
    ようなものより21世紀の虚無感にも似た感情の表れが感じ取られましたが。。。

    コレにはちょっと説明が要りますね。
    21世紀は悪い(特に日本では)世紀のように移りがちで、これからの人類は
    将来の不安に対して本当の意味でのその過酷さに直面しているかのように映りがちだ。

    前世紀にやってきたことへの代償を支払わねばならない直面した様々な問題、
    人の価値観、個人の価値観、意識が明らかに20世紀と違ってきている。

    フランスの哲学者フィリップガタリは20世紀を「創造と破壊の世紀」といい、
    21世紀を「美学の世紀」と言った。

    人々はあらゆるところにこの「美意識」を(再び)持ち出してきている。
    その「美学」を履き違えて表面だけの「美」を追い求めてゆく者も少なくない。
    「西洋的美」の履き違えもわが国では重宝されて賞賛される。
    そしてその「愚かさ」について完全に気付いていないところに我々の言いも言われぬ
    心の虚無感が潜む。

    近年、環境問題を映像で訴えたゴア氏(元米副大統領)の自宅の一ヶ月の電気代が16万円という事実。これもブームである「温暖化」に対しての認識を強くさせる為の「美意識」の
    押し付け、だと思っている。
    政治的アピールの匂いぷんぷんだ。

    長く語ると止まらないのでこの辺で。

    私はもっと欲深いので自分が死ぬ時にこの世界も死んで欲しいと思っている。
    私が死んだ後もこの世界でいろいろな人がのうのうと生きている現実が気に食わない。
    自分の死の前に世界の終わりを観てみたいと思う気持ちは少しはわかっていただけると思う。

    ただ、世界も人の命と同じで突然ではなく、ゆっくりゆっくり融通が利かなくなり、
    ゆっくりゆっくり悪くなるのだろう。少なくとも人の目からはそう映るに違いない。

  6. クワ より:

    この写真は物凄いインパクトがあります。

    >鹿肉を高級食材として扱っている場合ではない。
    本当ですね、みな呑気過ぎます。

    >私が生きていても、死んでも、環境に負担をかけていく。
    そうなんですよね、誰かが生きるという事は、それで他の誰かが死んでる訳ですから。

  7. baikada より:

    Godspeedさん
    ゴア氏の電気代16万って(--;すごいですね。
    ちなみにウチは先月ほとんどいなかったので、735円でした。
    東京電力から「生きてる?」みたいな通知入ってました(^^;

    クワさん
    結局生き物の生命活動は、何かを圧迫する歴史ですね。
    地球に優しい、や環境問題を叫んでも、それを発信するのに
    使う媒体は環境に負担をかけていたり。難しいです。
    でも、何かやらないといけません。。。