Inequality

The species name of this plant is uncertain.
Tree
木(き)

Photograph by Baikada (ばいかだ)
*CANON EOS 1D MK III*

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この植物はビルの上に発芽した。このまま氷に埋もれ、雪に埋もれて死ぬのかもしれない。
This plant germinated on the building. This tree might be buried in ice, be buried in the snow, and die.

不幸の星の下に生まれたということだ。(このポストは言葉遣いや表現がが難しいので敢えて英訳はしません)

命は平等だと聞かされた。だれしも一度は聞いたことがあるのではないだろうか。「命」っていうのは人間が考えた表現の一つであって、何か具体的なものを指すわけではない。平等に接しようとしても、この植物のように不遇のうちに死んでいくかもしれない。

1mmにも満たない昆虫には「命」を自覚しているものなんていないだろう。そもそも昆虫や多くの魚類は、ひとつの命を見つめるような生き方をしていない。

マンボウは3億の卵を産むと言う。そして産みっぱなし。その中の数匹が生き残ればいいのだ。

人間は1~2匹の子どもを大事に育てていく。価値観がかけ離れているのは当たり前。

それらの命を平等に扱うのは難しい。私は出来るだけ無駄に殺さないように気をつけるくらいしか出来ない。どんなに気を付けたって、生きていれば命を奪うことになる。

ブッダにしたって歩きまわって昆虫を踏んだだろうし、ベジタリアンだって、腸に入った細菌を無意識に殺してるだろう。人間が病気を治すなんてことになれば何億も何兆もウイルスを殺し、細菌を殺し、そして私たちの白血球を殺すだろう。

白血球が「命」なのか?ウイルスが「命」なのか?ウイルスはDNAやRNAといった遺伝情報を持つが呼吸をしていないため、生物として扱われないこともある。「生物」も人間が作り出した表現の一つであるだけだ。

「命」とは?「生物」とは?それは人類の学のなかでひとつの定義としてはある程度、イメージとして決まっているものとは思われる。

しかし、それを一般の人が共通の認識として持つことは難しい。だからその価値観を語ったり説いたりするのはすごく難しいことだと思うんだ。人間に生まれて、命を大切にすることを学べることを嬉しく思う。その反面、命の定義など知らず死んでいける昆虫などを
羨ましく思ったりすることもある。

The species name of this plant is uncertain.
Plant
草(くさ)

Photograph by Baikada (ばいかだ)
*CANON EOS 1D MK III*

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